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Reizo Otake
大嵩禮造逝きて20年 –その足跡をみる–
2023.1.4 wed – 3.26 sun

2023大嵩禮造展ポスター_トライアングル.jpg

今年は、2003年1月7日に、68歳で急逝した洋画家、大嵩禮造氏の没後20年にあたります。

大嵩禮造氏と当館の関わりは深く、創設当時から館の運営や美術品の選定などに関して、多くの助言をいただきました。その作品群は当美術館収蔵品の中核となっています。

大嵩禮造氏と児玉利武館長の出逢いは1972年。鹿児島県美術展の会場でした。その頃、大嵩禮造氏の絵は「グラスボックス・シリーズ」の真っ只中にあり、その幾何学的抽象画の鮮やかな色彩と造形の鋭さにすっかり魅了された児玉利武は、大嵩氏の作品の収集を決心します。

大嵩禮造の絵画は大きく3つに分けられます。

 

20代に渡欧し、その成果である「碑」のシリーズは、海老原喜之助が激賞した作品群であり、「白」にこだわり、乾いた世界を追求した、大嵩の原点とも言える抽象画です。30〜40歳代に描いた「グラスボックス・シリーズ」は、ガラスの持つ無機質さと冷たさを表現し、堅固に画面構成されたハードエッジな抽象画で、透明感のある白色と引き込まれるような青色の階調が美しい。大嵩禮造は、抽象画を描く一方で、優れた具象画も多数残しました。

「回帰シリーズ」は50歳代から絶筆まで描いた最晩年のシリーズで、絵の原点に立ち返るべく堅固に構成された画面に、ナイフを使って透明感のある強烈な白と青色を厚く塗り、さらにそれを削げるところまでそぎ落とし、人間の心の中まで描こうとした半具象・半抽象画です。

 

「初期から晩年まで作家の全てを収集してこそ、そのコレクションは完結する。そして優れた作家の作品は初めから終わりまでどの時代をとっても素晴らしいのです」と児玉利武館長は常々申しておりました。大嵩氏の没後20年の今年度に、奇しくも4月27日鬼籍に入った児玉美術館館長、児玉利武が生涯を通して魅了された大嵩禮造の世界をお楽しみください。

 

大嵩禮造プロフィール

1934年鹿児島市山之口町生まれ。甲南高校、鹿児島大学で画才が開花し、海老原喜之助に師事、1960年第1回南日本海外派遣美術留学生に選ばれ鹿児島の美術界に大きな足跡を残した。鹿児島大で30年近く教鞭を執った後は、鹿児島市立美術館長も務めた。

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